実家に銀色のロケットペンダントがある。
開けると,モノクロのお婆さんの写真が入っている。
その人は,ランプ屋のお婆さんと呼ばれている。
母は,本名を知らないが,子供の頃から
ランプ屋のお婆さんと呼んでいたという。
昭和20年代の広島。
倉橋島での話である。
村の一画に,雑貨屋があった。
その雑貨屋に,母らは,ランプの油を買いに行っていたので,
その店のことをランプ屋と呼んでいた。
ランプ屋のお婆さんは,明治生まれの人で,自分にも他人にも
厳しい人であったという。
生涯独身を通した人で,若いころに大阪から移り住んできたらしく
,近くには親戚もいなかった。
いつも着物姿で,寝間着にもびっしりと糊付けしたものを着込んでいたという。
曲がったことが嫌いなお婆さんは,他人の子供の躾にも厳しかった。
母は,お婆さんから,よく怒られたという。
それでも,母らは,そんなランプ屋のお婆さんのことが好きだった。
あるとき,大雨が降り,母の家が土砂崩れで埋まってしまった。
昭和20年代,仮設住宅等もなく,母らは行き場を無くしてしまった。
そんな母らを見て,ランプ屋のお婆さんが,しばらくの間,一緒に住もうと
言ってくれた。
ランプ屋で,母ら5人との共同生活が始まった。
二間しかない狭い部屋で,母ら家族と,ランプ屋のお婆さんと
肩を寄せ合うような暮らしであったという。
数年経過し,母らは家を再築し,ランプ屋を後にした。
ただ,ランプ屋と母の実家は,歩いて数分の距離であった。
ランプ屋のお婆さんとの交際はずっと続いた。
気丈なお婆さんであったが,年を取るにつれて,
段々と身の周りのことができなくなってきた。
祖母は,家族の分以外にもお婆さんの食事も作り,
母らがランプ屋に運んでいた。
続く・・・