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ランプ屋のお婆さん(その2)

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ランプ屋のお婆さんは,なんとか自分のことは自分でやっていたのだが,
ある日,お婆さんは,死んだ後の葬式やお墓のことを心配するようになった。
急に衰え始めたお婆さんを見かねて,祖母は,お婆さんに一緒に住もうと言った。
気丈なお婆さんはこれを断った。

それからしばらくして,いつものように,母が食事を持って行くと,
お婆さんが,か細い声で言った。
「もうダメや。頼むわ。」と。
母は家に帰って,祖母にお婆さんのことを話した。
祖母は,お婆さんをすぐに連れてこいと母らに言った。
母らは,布団に寝たままのお婆さんをリヤカーに乗せて自宅まで運んできた。

その日から,ランプ屋のお婆さんとの共同生活が再開した。
母ら兄弟が,交代でお婆さんの面倒を見たという。
しばらくして,ランプ屋のお婆さんが亡くなった。
大往生だったと聞く。

ランプ屋のお婆さんとは血縁関係にない。
しかし,世話になった人である。
祖母らは,小さいながらもお婆さんの葬式を行った。
ランプ屋のお婆さんにはお墓がなかった。
それなら仕方がないとして,祖母らの先祖が眠るお墓に一緒に入れたという。
まぁいいじゃないかという程度だったらしい。

平成24年6月18日,祖母が亡くなった。
認知症が進んでいたものの,とにかくよく笑っていた。
祖母の最期も大往生だった。
祖母も今では,ランプ屋のお婆さんが待つお墓に入ることになった。
納骨室で縁のある人々が骨寄せ合っている。
賑やかに話でもしているのだろう。

ランプ屋のお婆さんのことを知る者はほとんどいなくなってしまった。
母ですら名前を憶えていない。
倉橋島にランプ屋のお婆さんがいたということは,
母が作った銀色の小さなロケットと,このブログしか残っていない。

今年の盆は,祖母やランプ屋のお婆さんの話でも聞くために
墓参りでも行こうかと思っている。

2013年7月12日

五十川剛俊