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ランプ屋のお婆さん(その1)

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実家に銀色のロケットペンダントがある。
開けると,モノクロのお婆さんの写真が入っている。
その人は,ランプ屋のお婆さんと呼ばれている。
母は,本名を知らないが,子供の頃から
ランプ屋のお婆さんと呼んでいたという。

昭和20年代の広島。
倉橋島での話である。

村の一画に,雑貨屋があった。
その雑貨屋に,母らは,ランプの油を買いに行っていたので,
その店のことをランプ屋と呼んでいた。
ランプ屋のお婆さんは,明治生まれの人で,自分にも他人にも
厳しい人であったという。
生涯独身を通した人で,若いころに大阪から移り住んできたらしく
,近くには親戚もいなかった。
いつも着物姿で,寝間着にもびっしりと糊付けしたものを着込んでいたという。
曲がったことが嫌いなお婆さんは,他人の子供の躾にも厳しかった。
母は,お婆さんから,よく怒られたという。
それでも,母らは,そんなランプ屋のお婆さんのことが好きだった。

あるとき,大雨が降り,母の家が土砂崩れで埋まってしまった。
昭和20年代,仮設住宅等もなく,母らは行き場を無くしてしまった。
そんな母らを見て,ランプ屋のお婆さんが,しばらくの間,一緒に住もうと
言ってくれた。
ランプ屋で,母ら5人との共同生活が始まった。
二間しかない狭い部屋で,母ら家族と,ランプ屋のお婆さんと
肩を寄せ合うような暮らしであったという。

数年経過し,母らは家を再築し,ランプ屋を後にした。
ただ,ランプ屋と母の実家は,歩いて数分の距離であった。
ランプ屋のお婆さんとの交際はずっと続いた。

気丈なお婆さんであったが,年を取るにつれて,
段々と身の周りのことができなくなってきた。
祖母は,家族の分以外にもお婆さんの食事も作り,
母らがランプ屋に運んでいた。

続く・・・

2013年7月11日

五十川剛俊