集団的自衛権に関する総理の会見がありました。
フリップを使って彼は高らかに言いました。
「内閣総理大臣である私はいかなる事態にあっても国民の命を守る責任があるはずです。
そして、人々の幸せを願って作られた日本国憲法がこうした事態になって
「国民の命を守る責任を放置せよ」と言っているとは私にはどうしても考えられません」
総理
そのとおりです。
「国民の命を守る責任を放置せよ」と憲法はあなたに命じていない。
むしろ「国民の命を守れ」と言っているのです。
しかし、
あなたの事例は間違っています。
フリップに書かれたアメリカの軍艦に、
日本人がいることを想定するのは
集団的自衛権の事例ではありません。
集団的自衛権のほんとうの事例は、
日本人の乗っていないアメリカの軍艦が
他国に攻撃されていることを前提としなければいけません
そこで、同盟国であるアメリカを救うために
「戦うのか」「戦わないのか」を国民に聞かねばなりません。
集団的自衛権で「戦う」と決めたら、
第三国と第三国の戦闘行為に、日本が加担することになります。
日本は戦争の当事者になります。
戦後初めて、他国の起こした戦争の当事者になるのです。
相手も殺すし、日本人も殺されるでしょう。
死者は自衛隊員に限りません。
戦争で民間人が犠牲者になることは
もう十分経験してるじゃありませんか。
あのフリップには、戦争に参加することの意味が書かれていない。
それがいけないのです。
紙芝居なら「はじまり~はじまり~」としか書いてなくて、
「おしまい。」までに書かれるべきストーリーが書かれていない。
戦争に参加して、戦争が終わるまでの説明がないのです。
戦争では必ず人が死にます。
それを隠すのは説明責任から逃げています。
「国民の命を守る責任」があるなら
戦争の真実を隠すのはやめるべきだと思います。
そんな中途半端な説明では
十分な判断ができずに
国民の命が危険になるのですから。
それでは、また。
2014年5月18日
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